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「江戸圦樋屋」小考 : 用水普請史料から探る18世紀江戸の普請請負人
https://doi.org/10.57529/0002000145
https://doi.org/10.57529/000200014509e61721-e63f-40d9-b259-d3d9db7926a4
| 名前 / ファイル | ライセンス | アクション |
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| Item type | 紀要論文 / Departmental Bulletin Paper(1) | |||||||
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| 公開日 | 2024-03-12 | |||||||
| タイトル | ||||||||
| タイトル | 「江戸圦樋屋」小考 : 用水普請史料から探る18世紀江戸の普請請負人 | |||||||
| 言語 | ja | |||||||
| タイトル | ||||||||
| タイトル | Some Considerations about Edo-Irihi-ya(Manufacturers Who Contracted Irrigation-canal-constructions in 18th Century Edo) : Exploring about Their Activities from Historical Documents | |||||||
| 言語 | en | |||||||
| タイトル | ||||||||
| タイトル | エド イリヒヤ ショウコウ : ヨウスイ フシン シリョウ カラ サグル 18セイキ エド ノ フシン ウケオイニン | |||||||
| 言語 | ja-Kana | |||||||
| 言語 | ||||||||
| 言語 | jpn | |||||||
| キーワード | ||||||||
| 言語 | ja | |||||||
| 主題Scheme | Other | |||||||
| 主題 | 勘定方請負人 | |||||||
| キーワード | ||||||||
| 言語 | ja | |||||||
| 主題Scheme | Other | |||||||
| 主題 | 材木問屋 | |||||||
| キーワード | ||||||||
| 言語 | ja | |||||||
| 主題Scheme | Other | |||||||
| 主題 | 鎌倉屋吉兵衛 | |||||||
| キーワード | ||||||||
| 言語 | ja | |||||||
| 主題Scheme | Other | |||||||
| 主題 | 倉田屋清右衛門 | |||||||
| キーワード | ||||||||
| 言語 | ja | |||||||
| 主題Scheme | Other | |||||||
| 主題 | 岡田治助 | |||||||
| 資源タイプ | ||||||||
| 資源タイプ識別子 | http://purl.org/coar/resource_type/c_6501 | |||||||
| 資源タイプ | departmental bulletin paper | |||||||
| ID登録 | ||||||||
| ID登録 | 10.57529/0002000145 | |||||||
| ID登録タイプ | JaLC | |||||||
| 著者 |
鳥越, 多工摩
× 鳥越, 多工摩
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| 著者別名 | ||||||||
| 姓名 | Torigoe, Takuma | |||||||
| 言語 | en | |||||||
| item_10002_source_id_9 | ||||||||
| 収録物識別子タイプ | ISSN | |||||||
| 収録物識別子 | 02865823 | |||||||
| 抄録 | ||||||||
| 内容記述タイプ | Abstract | |||||||
| 内容記述 | 18 世紀の関東地域でおこなわれた用水普請では、「江戸圦樋屋」と呼ばれた人たちが江戸で圦樋の部材を製作していた。圦樋屋は、職人的側面を船大工・穴蔵大工・橋大工が、工務店的側面を材木問屋が担っていた。彼らは、江戸市中では上水や橋梁の普請を請け負っており、その仕事の一つに圦樋屋があったと考えられる。 「江戸圦樋屋」は、その名のとおり江戸に拠点を持つが、市中には圦樋屋についての史料は残されていなかった。彼らの活動痕跡は各地の地方文書に「江戸切組」「江戸請負」などとあり、彼らは市外に顔を向けて仕事をしていたのである。本稿では、そのような史料を収集・検討することで、圦樋屋の始まりから終焉までを概観した。その結果、もともと江戸では、17 世紀末頃には「圦小屋」という作業場所があったこと(当初は「小梅」のちに「本所」に移動したと考えられる)、そこで「圦切組大工」と呼ばれる人たちが作業をしていたことが明らかになった。彼らが、1720 年代後半頃に「圦樋屋」と呼ばれるようになったと考えられる。 また、今回取り上げた鎌倉屋吉兵衛と倉田屋清右衛門は、概観の過程で「工務店としての圦樋屋」の活動の一端をうかがうことができた商人である。材木問屋を本業とするこの2 人は、関東地域を中心に普請を請け負っていた。ところが、倉田屋清右衛門が最終的に関東樋橋切組方棟梁として19 世紀まで活動したことからも分かるように、圦樋屋は近世を通じて存続したわけではなかった。同じく関東樋橋切組方棟梁として知られる岡田治助は、1740 年代後半頃から活動が確認され、1760 年代初頭頃までに関東樋橋切組方を、1770 年代初頭頃までに切組方棟梁を名乗り、さらには勘定方御用として御目見得までを果たしている。岡田治助の活動を念頭に置くと、樋橋切組方というまとまりができた一方で圦樋屋というまとまりが衰退し、1780 年代には終焉を迎えていた可能性がある。 |
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| 言語 | ja | |||||||
| 出版者 | ||||||||
| 出版者 | 國學院大學 | |||||||
| item_10002_description_26 | ||||||||
| 内容記述タイプ | Other | |||||||
| 内容記述 | Departmental Bulletin Paper | |||||||
| 言語 | ja | |||||||
| item_10002_source_id_11 | ||||||||
| 収録物識別子タイプ | NCID | |||||||
| 収録物識別子 | AN00087276 | |||||||
| bibliographic_information |
國學院大學紀要 巻 62, p. 73-99, 発行日 2023-03 |
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