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小林秀雄「演劇について」論 : 見えないカテゴリーへの漂白
https://doi.org/10.57529/0002001369
https://doi.org/10.57529/000200136922a358e3-033f-48a2-a367-a5d6eb6d5240
名前 / ファイル | ライセンス | アクション |
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Item type | 紀要論文 / Departmental Bulletin Paper(1) | |||||||||
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公開日 | 2025-02-27 | |||||||||
タイトル | ||||||||||
タイトル | 小林秀雄「演劇について」論 : 見えないカテゴリーへの漂白 | |||||||||
言語 | ja | |||||||||
タイトル | ||||||||||
タイトル | A study of "About the Drama" by Kobayashi Hideo: Discrimination into Invisible Categories | |||||||||
言語 | en | |||||||||
タイトル | ||||||||||
タイトル | コバヤシ ヒデオ エンゲキ ニ ツイテ ロン : ミエナイ カテゴリー エノ ヒョウハク | |||||||||
言語 | ja-Kana | |||||||||
言語 | ||||||||||
言語 | jpn | |||||||||
キーワード | ||||||||||
言語 | ja | |||||||||
主題Scheme | Other | |||||||||
主題 | 小林秀雄 | |||||||||
キーワード | ||||||||||
言語 | ja | |||||||||
主題Scheme | Other | |||||||||
主題 | 演劇について | |||||||||
キーワード | ||||||||||
言語 | ja | |||||||||
主題Scheme | Other | |||||||||
主題 | 演劇 | |||||||||
キーワード | ||||||||||
言語 | ja | |||||||||
主題Scheme | Other | |||||||||
主題 | 歌舞伎 | |||||||||
キーワード | ||||||||||
言語 | ja | |||||||||
主題Scheme | Other | |||||||||
主題 | 漂白 | |||||||||
資源タイプ | ||||||||||
資源タイプ識別子 | http://purl.org/coar/resource_type/c_6501 | |||||||||
資源タイプ | departmental bulletin paper | |||||||||
ID登録 | ||||||||||
ID登録 | 10.57529/0002001369 | |||||||||
ID登録タイプ | JaLC | |||||||||
著者 |
齋藤, 樹里
× 齋藤, 樹里
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著者別名 | ||||||||||
姓名 | Saito, Juri | |||||||||
言語 | en | |||||||||
item_10002_source_id_9 | ||||||||||
収録物識別子タイプ | ISSN | |||||||||
収録物識別子 | 02865823 | |||||||||
抄録 | ||||||||||
内容記述タイプ | Abstract | |||||||||
内容記述 | 「演劇について」(「文學界」昭和十一年十月)は、「演劇」に関する話柄が展開される小林秀雄の批評作品である。しかし、「演劇について」論じている筈のこの文章は、「演劇」を語り得ていないという陥穽に嵌っている。この批評では、「小屋の空気」という表面的な意味での「社会性」の中に「演劇」を昇華する。それによって、批評主体である「僕」は「演劇」を見えないカテゴリーへと漂白する。「孤独を嫌う」芸術を「孤独」に享受するという態度によって、「僕」の中では「演劇」を「演劇」の文法で論じる必要がなくなるのである。そこで、「演劇」は、「文学」という尺度から語られていく。つまり、この批評で論じられているのは、「演劇について」ではなく、むしろ「文学について」であるといった方が適切なのである。 「演劇」を語ると表明しながら他のカテゴリーを語ることは、「演劇」というカテゴリーを見えないカテゴリーへと追いやる漂白行為であり、その行為は、「演劇」を語られる価値のないものへと囲い込む悪意無き差別のありようを示している。「演劇」に存在する多様な「演劇」性を表面的な「社会性」の名のもとに漂白し、「演劇」を見えないカテゴリーにするこうした「僕」の動きは、近代において圧倒的マジョリティである「文学」側による悪意のない差別である。ただし、「演劇について」における過剰なまでの「文学」の称揚は、同時代における社会状況の危機に端を発している。「文学」を政治やイデオロギー、権力へのカウンターとして機能させようとする切実な試みの中で、「文学」が「演劇」をはじめとするさまざまなカテゴリー(そこには「映画」も含まれる)を見えないカテゴリーへと漂白していく。そのような悪意のない差別によって「文学」が「文学」としてもう一つの覇権を形成してしまっていたのである。 |
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言語 | ja | |||||||||
出版者 | ||||||||||
出版者 | 國學院大學 | |||||||||
item_10002_description_26 | ||||||||||
内容記述タイプ | Other | |||||||||
内容記述 | Departmental Bulletin Paper | |||||||||
言語 | ja | |||||||||
item_10002_source_id_11 | ||||||||||
収録物識別子タイプ | NCID | |||||||||
収録物識別子 | AN00087276 | |||||||||
bibliographic_information |
國學院大學紀要 巻 63, p. 1-16, 発行日 2025-02 |